筆者:小柳保之 

 今年の2月24日、ロシアのプーチン大統領によって発動された「特別軍事作戦」(欧米では「侵略戦争」と認識)は、ウクライナ国土の破壊と無辜の民衆の無差別殺戮を繰り返し、5ヶ月を経過した現在も継続しています。国内外のメディアは様々な軍事的用語を使用して新たな戦争形態の出現を報じていますが、そのような中で「認知戦」という用語に目がとまりました。

 一応、筆者も防衛任務に従事した経験を有しており、ある程度の知識は持っていると自負していましたが、記事を読んでも頭の中は「???」と理解できなくなっていました。そればかりか、旧友との会話で話題になった「ハイブリッド戦」、「第1次情報大戦」等にもついて行けず恥ずかしい思いもしましたが、こちらは幸い酒の場であったので「赤面」したのはバレないで済んだようです。

 「認知戦(Cognitive Warfare)」は、認知科学者の苫米地氏の言を借りれば「人間の脳などの認知領域に働きかけて、その言動をコントロールする戦い。」とされています。他の参考文献等においても大きな差はなく、同様な説明をしているようです。

 この「認知戦」を検索していて、自己の勉強不足を思い知らされるレポートにたどり着きました。「6番目の戦場―認知戦(Cognitive Warfare) ー(末次冨美雄)」です。読者諸氏はご存じのように、戦場のドメインは伝統領域の「陸、海、空」に「宇宙」が加わり、更に第5の戦場「電磁波・サイバー空間」の領域に広がってきていますが、私のアップデートもここまでで止まっていました。

 人間の認知領域が戦場になる?只の「情報戦」の一種だろうとたかをくくっていましたが、戦いは今や国家や軍ばかりで完結できるものではなく、一般市民やメディアを取り込む必要があり、戦争遂行に与える影響、効果を考慮すると、その価値は拡大しつつあると述べられています。戦争は国権の発動であり、国や軍の専売特許と考えていた自分にとって「そんな馬鹿な!」と思いつつも読み進めました。

「認知戦」はいつ生まれたのか

 末次氏のレポートによると、2021年4月に公開された米国情報長官室の「年度脅威評価」において、軍事力や宇宙・サイバーと並んで「影響作戦(Influence Operation)」という評価基準が示されています。

 “影響作戦とは、「敵対国が米国に対して経済的、文化的影響力拡大を図るとともに、国家主体で米国のメディア等に自らに都合の良い情報(フェイクニュースを含む)をばらまき、世論を誘導し、国家指導者の政策決定を自らに都合の良い方向に変えさせるもの」である。”

 これは人間の認知領域に働きかける新たな戦争形態であり、第5の戦場である「サイバー空間」に次ぐ第6の戦場として「認知空間」が認識されつつあると末次氏は述べます。

 この米国の認識の背景には、敵対する中露の国家戦略の動向を捉えての動きがあることは間違いなく、レポート内でも触れられている中国の国家戦略としての「世論戦」「法律戦」「心理戦」の三戦、更に1999年に打ち出された「超限戦」への対抗と考えられます。また、ロシアについては、2014年のクリミア侵攻の際に実施された「ハイブリッド戦(「新たな世代の戦い」として、2013年2月に当時のゲラシモフ参謀総長が論文発表)」を意識しているのだと思います。

 それを前提にしても米国は「認知戦」は国家がコントロール出来るものと考えていたように思われます。しかし、1年経過した、今年の2月24日に開始されたロシアによるウクライナ侵攻後の戦争の形態を俯瞰すると、民間メディア情報の影響力の増大、軍事目標の選定に活用される一般市民のSNS情報、さらにはハッカーの参戦等もあり、国家による統制は一段と困難さを増してきているように思われます。

 実際、ウクライナのフョードロフ副首相が、ソーシャルネットワークが持つ効力を認めてIT部隊の創設を宣言しボランティアの技術者を募集したところ、ウクライナのDX副大臣ですら把握できないほどのIT技術者等が応じ、ウクライナに加勢していると言われています。もはや軍属と一般市民の垣根はおろか、国境すらそこにはありません。

 英国のガーディアン紙は、今般のウクライナ侵攻の戦争形態を実戦とサイバー空間の一体化したハイブリッド戦に「認知戦」を含めた総称として「第1次情報大戦」と命名したようです。

認知戦の事例

 ここで「認知戦」を感じる事例を、個人的見解として以下に数件あげてみます。

 ○ 米大統領選挙直前の「警官による黒人殺害事件」報道

 2020年の大統領選挙直前に発生した白人警官による黒人殺害事件。「トランプのせいだ」と主張する左翼メディアのプロパガンダと、ANTIFA(アンチファシスト)が誘導した「Black Lives Matter」のデモが全米で頻発。略奪や店舗施設等の破壊が多発するも大手メディア等も同調。判決が下った今も、筆者にとっては「何が正しいのか」のかもやもやしたままですが、結果として共和党にとって不利な状況に追い込まれました。

 ○ 2020年の米大統領選挙

 大統領選挙において「民主党陣営の票集計への介入」、「議事堂への市民乱入」事案等に関するメディア報道は、米国社会に大きな分断を生み、結果として民主党政権が誕生。この分断を如何に修復するかという、バイデン政権の国内における政治的な課題も残しました。

 ○ ロシアのウクライナ侵攻後のメディア報道

 メディア報道やSNS情報における「プーチン&ロシア=悪」、「ゼレンスキー&ウクライナ=正」の全方位発信。戦争における大義名文は双方にあり、検証なしの発信の妥当性が問われるが、「プーチン&ロシア=悪」のグローバルな世論が形成されました。

 ○ モルドバ共和国における親露派工作

 沿ドニエストル共和国施設を攻撃するモルドバ軍(実際は共和国内親露派勢力とされる)の映像が世に出てきたことから、ウクライナと同様に人道支援の口実を作り、ロシアがモルドバ侵攻の正当性を拡散しようしていると見られています。

「情報」を制する

 孫子の時代から「情報を制する者」が戦いに勝つことは歴史が証明しており、現在においてもあらゆる分野で「原理原則」として認識されています。情報の活用はクラウゼビッツの言う「戦場の霧」を解消する唯一の手段であり、決心・決断の根拠として戦いの成否を決定付けるものです。それ故に「情報」は伝達手段と伝達速度の技術革新を遂げ、それぞれの時代背景の中で効果的にシステム化されてきました。

 近年のICT技術の発達は著しく、戦争における主戦場は「サイバー空間」や取扱う人間の「認知領域」に移行していくことは想像に難くありませんが、そこには「Fact」と「Fake」が混在し、「人為的に焚かれた戦場の霧」は益々濃くなっていくと思われます。

 将来戦において主導権を握り、戦場を制するためには何が必要となってくるのか。時代遅れの筆者には皆目見当がつきませんが、ウクライナの状況を通して言えるのは、せめてFakeを見極め得る「知力と洞察力」を高めないと対応出来ないのではと思っています。現在はYouTube等SNSに代表されるように誰もが自由に情報を発信することが可能な社会であり、発信者本来の意図などお構いなしに切り抜かれ、歪められた情報すら拡散される時代です。このような時代においては、官民一体となって、認知戦を含んだ「情報大戦」に臨むことが必要になると思います。

…偉そうに書いてはいますが、既に筆者自身も「認知戦」に取り込まれているのかもしれません。その証拠に、氾濫する情報の真贋を自動で判別してくれるソリューションが待ち遠しいと思っているのですから。実現されるのはいつになるやら。

「神様、仏様、ヘルメス様」

【参考文献等】

  1. 6番目の戦場ー「認知戦(Cognitive Warfare)」ー 末次冨美雄
  2. 人民解放軍の全貌 渡辺悦和
  3. 苫米地英人(「認知戦」を理解してより良い世界を構築せよ! Dr.苫米地)
  4. ロシアが推し進める「ハイブリッド戦」の概要とその狙い 佐々木孝博(安全保障懇話会 令和2年5月1日)
  5. 現代戦争を読み解く 航空支援集団司令官 空将(当時)織田邦男

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA